ヌヌは、私が休学してイスラエルでボランティアをしていた頃のフラットメイト。私が19歳、彼女が23歳の時である。
彼女はデンマーク人で、プラチナブロンドのベリーショート(すぐ後にスキンヘッドとなる)に青い瞳。周りのみんなが吸い込まれるような赤ちゃん顔が、ブリジッド・バルドーよりもメリハリのあるのにスキニーな体つきの上にちょこんと乗っていた。
ヌヌはいつも大股で颯爽と歩き、天使のような歌声で鼻歌を歌い、仕事をしていた。男も女も、ゲイもレズビアンも、大人も子供も、芸術家も宗教主義者も、彼女に出会ったすべての人が一目で彼女に恋をした。
いつも威張り散らす人は、彼女の前では借りてきた猫のようにおとなしくなる。
無骨で自己表現が苦手な人は、彼女の前では自然と言葉が生まれ、流れるように会話がつながっていく。
春の陽だまりから生まれた妖精だと思った。
そのヌヌが愛用していたのが、この写真の香水である。トップは、軽やかで自由なフローラルノート。そこから優雅に流れ、ラストは成熟したまろやかな香り。まさに、媚がなく凛とした、そして母親のような包容力を感じさせる彼女そのものだった。
ヌヌは、私にも快くその香水を使わせてくれようとしたが、私には中盤から終盤にかけての重みが似合わず、彼女のように23歳くらいの大人になれば似合うのかと思った。それから4年後、日本のデパートでそれを見つけたが、やはり似合わなかった。
そして昨日、空港でこの香水と再会した。懐かしさで手首につけたところ、自分の中の何かがカチッと調和した。私が今つけたいものは、これだと思った。
19歳の私になく、彼女にあったもの。それが今なら何かよくわかる。それは、他人への分け隔てない深い愛情だ。
ヌヌは、幼い頃は小説だけが友達というおとなしい少女だったが、両親の離婚をきっかけに、人が変わったように外交的な性格になったという。
父と、父の恋人の男性、その友人の男性の4人でずっと暮らしていた。その環境の中で、本当の意味での愛情が行き交う様を身近に常に感じ、彼女にも降り注がれ、やがて自分から他人に愛情を与えていくことを学んでいったのだと思う。
私と彼女の差は4年という年齢差だけではおさまらないほどのものだったのだ。
イスラエルから帰国して、最後に彼女から届いた手紙には、ロンドンでパフォーミングアーツを勉強するということ、そして一人のトランペット奏者に恋をして身も心もとろけてしまった、その恋はうまくいかなかったけれど、とても幸せだったと書いていた。
彼女にいつかまた会うことがあれば、伝えたい。
私も、今、とても愛している人がいるんだよ、と。