ミュンヘンに移り住み、3ヶ月たとうとしている。
また今、過去に落としてきたピースがだんだんはまり始めている。
それも、自分が、昔完成しきれなかったパズルのピース、それらが逆に今度は自分を別の新しい絵へと導いてくれているようなのだ。
よしもとばななさん(当時吉本ばなな)著『キッチン』で、『人生の終わりは台所で』というような描写があったけれども、まさに客室乗務員をしていた私はそれで、自分の最期は機内でと(笑)
会社にもお客様にもはた迷惑な話である。
が、熱烈に愛してしまう仕事に就けたのは本当にラッキーだった。
今はそれを辞め、ミュンヘンに住んでいる。
だが、日々の出会いの中でのご縁から、私が学生来細々と続けていた文筆関係で、お声をかけて頂いた。
私が携わっていたのは別分野かつ別名だったので、お声をかけて下さった方は、私が文筆業に少しだけ携わっていたことは全くご存じない。
ただ、何度かうちで御飯をご一緒させて頂いただけだ。
それが、その方が日本にご帰国後、マクロビオティックの分野でと、文筆のお仕事を紹介して下さる運びとなった。
いつから、パズルのピースが手元に集まり始めていたのか分からない。
5年前に病気をし、客室乗務員に今ならないとダメだと直感した時、文筆関係と距離を置いた。そしてベースのドバイに住んだことで逆に自分のルーツである玄米を食べてみたくなった。
もっとおいしい玄米ごはんを食べたいと思った頃、京都の『むそう塾』の玄米炊飯クラスの申し込みに間に合った。そこでワイルドで洗練された先輩方に出会った。
始まりが良かったので、私の中でマクロビオティックは、ワイルドにしなやかに生き抜くための刀という位置づけにストンとなった。
その後ドバイでの仕事を辞めミュンヘンに渡り、幸せで楽しいながらも、何か別の強いものが内面でざわざわしかけていた頃、この話が急に舞い降りてきた。
また、ここに還らせて頂けたんだなと、しびれるほど嬉しかった。
病気をした5年前に思い描いた、『10年後の自分』の絵、そして今見えかけているぼんやりとした絵、これらは、きちんとどこかで重なっていくのだと思う。
けれど、今は何も考えないで、目の前のことに集中しようと思う。
花のように、光の指す方に顔を上げていれば大丈夫な気がする。
あとは、体当たりのみ!